【第1章】27万店の乱立市場、美容業界が直面する課題
― ABBEYの事業概要を教えてください。
有限会社アビーは、ヘアサロン『ABBEY』の経営を軸に、ヘアメイクアーティストや美容技術講師の育成・派遣、撮影、広告、講習を行う「美容の総合事業」を展開しています。サロンは表参道や青山、銀座などの都心一等地だけでなく、鎌倉といった郊外にも広げて多様な顧客層を獲得しています。また『Rakuten Hair Salon ABBEY』という楽天本社内の社員専用サロンも運営し、大企業オフィス内でのサロン運営ノウハウも蓄積しています(2025年8月取材時点)。
― ヘアサロンや美容業界全体の傾向や課題を教えてください。
現在(2025年8月)、日本には約27万件の美容室があり、コンビニを大きく上回る数で飽和状態にあります[1][2]。一方、業界では人材不足や価格競争といった課題を抱え、少子化による若者の人口減少に加えて美容師を志す学生も減っています。2000年頃に放送された美容師のドラマが社会現象となり、美容学校の入学者数がピークを迎えた時期と比べると大きく減少しています。華やかなブームが去り、本来の姿に戻ったとも言えますね。
価格面では、ホットペッパービューティーなどの予約プラットフォームを通じた低価格競争が常態化しています。さらに、円安や物価高で材料費が上昇する中、値上げに踏み切れば顧客離れのリスクも高まります。このように、収益モデルが揺らぎやすい状況にあるのが業界の現状です。
― 新規参入店舗が増える中、「生き残るサロン」の条件は何でしょうか。
スタッフが「お客様に満足や感動を与えたい」と思い続けられることです。ABBEYでは、私たちのブランドがお客様にとってかけがえのない存在になっているかを問い直しながら、お客様一人ひとりと向き合っています。ヘアサロンは誰もが必ず行く場所ですが、高単価の店にするか、低単価の店にするかはライフスタイルや価値観、タイミングによってさまざまです。
また、飲食店と同じように「高くてもこの店を選びたい」と思っていただけるような価値を創っているかも基準にしています。価格に応じた体験価値を提供し、その競争に勝つことが持続的なブランド力に繋がると考えています。
【第2章】男性の意識が変わった。「清潔感」投資の全容
― 昨今、ABBEYのお客様にはどのような傾向が見られますか。
表参道や青山、銀座、鎌倉といった立地や年齢層に関係なく「なりたい自分になるため」にご来店になる方が多いです。自己投資を惜しまない、また「美しくなりたい」「かっこよくなりたい」という美意識の高いお客様が中心です。
― 男性のお客様には、どのようなニーズや意識の変化がありますか。
髪や肌、眉、爪、体型といった細部の清潔感を重視する方が増えています。優秀なビジネスパーソンほど、仕事や私生活のあらゆる場面でスタイリッシュであることが信頼性に直結し、キャリアや経済力にも影響を及ぼすと理解しています。「今日もコンディションがいい」と肯定的に思える感覚は、自信にも繋がりますよね。
― 何がきっかけで、日本の男性の意識が変わってきたのでしょうか。
この10年で、メディアに登場するさまざまな男性アーティストたちが「美のアイコン」として注目を集めたことです。その影響もあり、20代を中心に男性がスキンケアやコスメに関心を持つようになりました。30〜40代では、男性らしさを求める方が多いものの、清潔感への意識は確実に高まっています。
― ビジネスパーソンが第一印象を良くするためには、どのような身だしなみにするといいですか。
ご自分が心地よいと感じるヘアスタイルにすることです。ただ、清潔感のあるヘアスタイルでも、寝癖がついたり手入れをしなかったりすると効果は半減します。忙しい朝でも5〜10分だけ整える時間を確保すると、見られ方が変わります。信頼している美容師さんに「スタイリングが苦手だし、朝は10分しかない」と伝えれば、無理なく再現できるデザインを提案してもらえます。
髪以外でも、爪や歯、襟元といった細部が清潔感を印象づけます。服装も、ブランドより着こなしが大切ではないでしょうか。ユニクロのようなシンプルな服でも、体型に合ったものを選べばビジュアルをアップデートできます。
【第3章】女性の美容ニーズは、自己満足と他者評価
― 女性のお客様には、どのようなニーズや意識の変化がありますか。
全体的にさまざまなニーズがありますが、大きくは「おしゃれな自分でいたい」という自己満足と「第三者から『いい』と言われたい」という外部評価の二軸です。その上で、大半の方が「トレンドを意識したい」「ファッションとリンクしたヘアスタイルを楽しみたい」と考えています。
ファッションでは、ZARAやH&Mでカットソーやパンツを揃えつつ、THE ROWやHERMESのバッグを合わせるなど、ファストファッションとハイブランドをスマートに組み合わせている方も見られます。ヘアスタイルでは、女性のお客様の美しいデザインへのこだわりは変わりません。ショートならフォルムのかっこよさ、ボブならラインの美しさ、ロングレイヤーなら女性らしさなどが求められますが、好みは多種多様です。かつてはテレビや雑誌が流行を一方向的に作っていましたが、現在はSNSや動画を通じて、ご自分に似合うスタイルを自由に選ぶ傾向が強いです。
― 女性のお客様には、ライフイベントによってニーズが変わる傾向もありますね。
はい。20代は思う存分「盛る」ことを楽しむ方、30代になると出産や育児、働き方の変化などライフステージの節目で「自分だけにリソースを割けない」と悩む方が増えます。特に、子育て世代は自由な時間が限られるため、「スタイリッシュなのにシンプルなスタイル」を注文する方もいらっしゃいます。おしゃれでありながら結べる、洗える、すぐ乾かせるといった機能性も重視されています。
― ABBEYでは炭酸水やヘッドスパといった集中トリートメントのラインナップも豊富です。
髪を綺麗にしたい、ストレスフリーに地肌をケアしたいと願うお客様に向けて、ABBEYでは最新のトリートメントやテクニックが出るたびにメーカーへ問い合わせ、スタッフ同士で効果を検証した上で導入しています。若手スタッフが「こんな新商品がある」「SNSで同世代の美容師さんが紹介していた」と積極的に提案してくれるのも嬉しいですね。ABBEYでは、ボトムアップで新しい知識を取り入れる文化が根付いています。
【第4章】進学校から美容師へ。学生時代の決断と若手時代
― この章では松永さんについて伺います。トレンドセッターとしてどのような美意識を持っていらっしゃいますか。
自分のデザインや表現に「飽きる」ことです。言い換えると、常に新しい表現を模索しながら、古くなっていないかを自問自答しています。そのために、VOGUEやELLEといった海外の雑誌やインテリア誌からモデルやデザイン、広告をチェックし、最新のトレンドや「いい意味での違和感」をインプットするようにしています。そんな習慣から「次はこのテイストが来る」と予感を掴んでいます。
― 松永さんは音楽にお詳しいですが、最近は何を聴いていらっしゃいますか。
今日はここに来る時、Dev Hynesが『Blood Orange』という名義で出したアルバム『Essex Honey』を聴いていました。これは、新しいR&Bですね。他には、オーストラリアのエレクトロポップバンド『PARCELS』の新作『LOVED』も好きです。ロックやR&B、Hiphop、レゲエなど、私自身に刺さる音楽ならジャンルを問わず、何でも深掘りして聴きます。
― 松永さんは学生時代、なぜスタイリストになると決めたのでしょうか。
長崎の進学校に通っていた頃、周りのクラスメイトは勉強が好きだったんです。みんなが休み時間も楽しそうに予習・復習している姿を見て「勝てないな」と。だったら何がしたいのかと、さんざん悩みました。そのまま大学に進学して、サラリーマンとして人生を終える姿も想像していました。
当時、恋愛や学校生活、音楽、ファッションなどをテーマに、若者たちが討論する『YOU』というNHKの番組があり、糸井重里さんが司会・進行をしていました[3]。ファッション誌の撮影の裏側を特集する回があり、スタイリストやカメラマン、ヘアメイクの仕事を観て「遊びながら仕事をしているみたいだ。楽しそうだな」と惹かれました。しかし、当時の長崎には、そんな仕事をしている方には出会えませんでした。そこで、「美容師なら、その延長線上でヘアメイクになれるんじゃないか。やるならトップを目指そう」と東京の美容学校に進みました。
― 卒業後、松永さんはPEEK-A-BOOに入社し、最年少でアートディレクターにご就任になります。2002年に当時『A BATHING APE』のプロデューサーだったNIGO®️さんとBAPE CUTSを、2007年にはABBEYを立ち上げます。現在も生きているご経験や出会いはありますか。
創設者の川島文夫先生には、子供だった私を食べていける社会人にしていただきました。一般的な美容師と一流の美容師の違い、絶えまぬ努力や高い志、そしてお客様と相対した時に放つオーラ。川島先生からは、舞台役者のような強い存在感を教わりました。単に鏡の前で髪を切るのではなく、お客様から付加価値として認められる存在でなければなりません。その姿勢は、今も私の軸になっています。
― 若手時代、失敗をしたことはありますか。
小さな失敗は数え切れないほどありましたが、それを二度と繰り返さないように、何度も修正しました。失敗して腐っている暇がないくらい、目の前にはいつも仕事も課題も山積みだったんです。「前を向いて進まないと振り落とされる」と必死でした。
【第5章】シャンプーは教育。ABBEYの均質性とブランド
― ABBEYは、店舗展開や広告・テレビなどのメイク、講演など多岐に渡ったご活動をしています。「軸」は何でしょうか。
技術を学び続ける姿勢と、どの店舗やどのスタッフでもブレのないクオリティです。ABBEYは一等地で多店舗を展開していますが、「どの店舗に行っても同じ体験が得られる」とお客様にご満足いただくことを重視しています。また、スタッフの派遣や美容講習など、BtoBの領域でも活動し、教育を仕組み化している点で外部からもご評価いただいています。
― 私自身、ABBEYはシャンプーやカット、パーマが丁寧で何年も通っています。どのスタッフの方にも一貫して高いクオリティを感じます。
ありがとうございます。私たちは「シャンプーのクオリティを日本で一番高くする」という共通意識を持っています。お客様が来店して最初に体験するのは、シャンプーです。ここで気持ちよさや上手さを感じていただけなければ、サロン全体の印象も下がります。
多くのサロンでシャンプーを新人任せにしやすい反面、ABBEYでは、ベテランを含めたスタッフ全員がシャンプーの技能を磨き込みます。スタッフは、シャンプーのスキルを高いレベルで習得すると、カットやパーマ、カラーといった他の技術でもクオリティを担保しようとするんです。
― 若手スタッフの皆さんの礼儀・マナーも、徹底して教育していらっしゃいますよね。
はい。朝礼・終礼では、お客様に失礼にならないように距離感や立ち振舞に気を配ること、また、お客様の立場に立って考えることを繰り返し伝えています。私は長年の経験からお客様のお気持ちを気配で感じるため、スタッフには「今日の接客ではこうしていたよね」と褒めたり注意したりしています。形式的なマニュアルではなく一人ひとりの感性を育てるのが、ABBEYの流儀です。
― 俳優やモデル、アナウンサーなど沢山の著名人も訪れていますが、お客様のブランド体験を一貫させるために、何を意識していらっしゃいますか。
技術・接客・空間、この3つの体験を揃えることです。ご飯屋さんなら「料理がおいしい」「接客が気持ちいい」「空間が素敵」といった要素が再訪理由になりますが、ヘアサロンも同じです。美容師の視点だけに偏るとズレが生じますが、私たちは「お客様が本当に望んでいるものは何か」を俯瞰し、仮説検証を繰り返しています。表参道や青山といった立地も、ブランドの一部です。非日常の空間で過ごすことで「自分へのご褒美」と思っていただけるように、内装や店内の雰囲気にこだわっています。
【第6章】人口減の時代でもチャンス。ABBEYの成長戦略
― 読者の皆さんに向けて、今後トレンドになるスタイルを教えてください。
今はさまざまなデザインがあり、正解は1つではありません。「この俳優、いいな」「このモデル、雰囲気が素敵だな」と思ったら、アイコンとして取り入れてみましょう。憧れる人に近づくにはそれが一番早く、一番簡単ですよね。雰囲気やファッション、ヘアスタイル、言葉遣いなどを徹底的に模倣するんです。しかも、それは全く同じになることはなく、ご自分のオリジナルになっていきます。理想像を追いながら独自性を獲得していくプロセスは、ビジネスやキャリア形成にも通じると思います。
― 人口減やインフレ下といった厳しい時代を見越して、ABBEYをどのように成長させていきたいですか。
少子高齢化の進行により、2024年の出生数は統計開始以来最少の70万人を下回りました[4]。このように、全国的には人口減少が続いていますが、東京は依然として一極集中が進んでいます[5]。もちろん、日本各地で地域社会の維持が困難になる点は良くありませんが、ABBEYはそれほどの人たちが流入する東京で選ばれるために努力していきます。
どの業界でも、そのようなブランドはありますよね。人気生ドーナツ専門店『I'm donut?』やディズニーランドのように、立地とブランド体験を融合させた人気店はいつも行列を生んでいます。ABBEYも同じように「わざわざ行きたい」と思っていただける存在を目指します。
個人的な志としては、ABBEYをOne and Onlyなトップブランドに育てていきます。ナチュラルで美しいヘアスタイルを軸に、アプローチや見せ方にはエッジを効かせる。普遍的な礼儀・マナーを遵守しつつ、人が直感的に「かっこいい」と感じるものには大胆に挑戦していきます。
― 今後の事業戦略をお聞かせください。
来年に新しいエリアに新店舗を出店する予定です(2025年8月取材時点)。それに伴い、スタッフの教育や技術力をさらに高め、どの店舗でも一貫した高いクオリティを提供できるようにします。セミナーは日本各地だけでなく韓国、シンガポール、台湾、中国などでも開催していますが、現時点では海外進出そのものは考えていません。海外に出るより、まずは国内でブランドの厚みを深めることを優先します。
― 松永さん、お話をお聞かせいただきありがとうございました。