【プロローグ】
沼田:2019年に佐野さんと話した時、私はまだ家業を継いだばかりでした。佐野さんは「海苔と一緒に食べるなら、ゴルゴンゾーラがいいな」と組み合わせを提案してくれましたよね。実は、それを目標の一つに掲げて商品開発をしました。それが、「[60]岱明混1 Taimei Kon‐ichi」という海苔です。
佐野:ありがとうございます。私、意識の高いことを言っていたんですね。
沼田:いえいえ、日常の何気ない会話や情報がフックになるんですよ。
佐野:当時のアイデアを覚えてくださって、しかもそれを実現していただけて嬉しいです。すてきなお土産話から取材をスタートできます。
【第1章】ぬま田海苔の創業から現在
― ぬま田海苔の事業概要を教えてください(正式な社名は株式会社NUMATA HARUO SHOTEN)。
ぬま田海苔は1937年に祖父が創業し、現在(2026年8月)は東京・浅草の合羽橋に本店を構える焼海苔専門店です。希少性の高い有明海産の初摘み海苔を買い付け、商品企画、店舗販売、EC販売を行っています。私は四代目として合羽橋本店や国内外向けのオンラインストアを運営しています[1]。
― ぬま田海苔には、どのようなお客様がいらっしゃいますか。
一般のお客様と飲食店のお客様が中心です。一般のお客様にはご自宅でおいしく楽しむため、また、お中元やお歳暮、冠婚葬祭、手土産などのギフトとしてご購入いただいています。海苔は適切に保存すれば長期間品質を維持しやすく、軽くてかさばりません。小さなお子さんから高齢の方まで食べられることやさまざまな食品と合わせられることも、ぬま田海苔が選ばれる理由だと考えています。
飲食店では、独立して新しく店を開いた寿司店からのご注文が増えています。たいてい歴史の長い寿司店にはすでに何十年もお付き合いのある海苔店があります。私は、そこからシェアを奪いたくありません。海苔店にはそれぞれ強みがあり、お互いに補完しながら需要をつくったら海苔業界全体を活性化できるはずだからです。寿司店以外では居酒屋、ラーメン店、蕎麦店、ミシュラン三つ星のレストランなどにもご利用いただいています。
― お取引きのある寿司店では、ぬま田海苔をどのように使っていますか。
手巻きや巻き寿司で使われることが多いですが、求められる海苔は大将によって異なります。歯切れのいい海苔、厚みのある海苔、薄く柔らかい海苔など、それぞれに理想があります。また、複数種類の海苔を使い分ける方もいれば、柔らかい海苔だけから選ぶ方、「青混ぜ」をマグロに合わせる方もいます。料理や食材、大将の好みに応じて好まれる海苔も千差万別です。
― 合羽橋本店とオンラインストアはどのように連動しているのでしょうか。
オンラインストアだけでは商品の魅力を伝えきれず、売上拡大に難しさを感じていました。そこで、海苔を食べながら選んでいただける実店舗を設けました。現在では、国内外から本店を訪れたお客様が、帰宅後や帰国後にオンラインストアから再び注文することがあります。実店舗で商品の違いや魅力を体験していただき、その後もオンラインで継続的に購入する循環が生まれているんです。
― 海苔だけでなく、さまざまな商品も展開していらっしゃいます。
近年は冷凍の焼きおにぎりや「おじや」なども考案しています。焼きおにぎりではポルチーニ茸を使った独自性の高い商品をつくり、おじやはお客様からのご要望を受けて開発しました。妊婦の方や病気から回復したばかりの方など、油ものを食べたくない方にもご好評いただいています。さらに、マグロの専門家と連携して三崎のマグロと海苔を組み合わせたセットも販売しています。
【第2章】ぬま田海苔の「初摘み海苔」とは
― ぬま田海苔が扱う「初摘み海苔」とは何でしょうか。
一般的に、海苔は同じ漁場で複数回摘採されますが、その年の最初に摘み取られるものを「初摘み海苔」と呼びます。この初摘み海苔は柔らかく、歯切れや口溶けがいいことが特徴です。ぬま田海苔が厳選している有明海産の海苔も、漁場や摘採の時期によって硬さ、歯切れ、香り、旨味などに違いが生まれて商品の個性となっています。このように初摘み海苔にも品質のバリエーションがあるため、私は産地で実際に食べ比べながら選定しています[2]。ただ、いい海苔を見つけてもすぐに仕入れられるわけではありません。品質と相場を見ながら価格を付け、入札で買い付けています。
ぬま田海苔の商品名に「◯」が付く海苔には小さな穴があります。柔らかい初摘み海苔では鮮度の高い海苔が引っ張り合うため、製造工程で隙間ができるんです。しかし、私は「美しい海苔」と「おいしい海苔」は必ずしも同じではないと考え、外観だけではなく食味も重視しています。
― ぬま田海苔が有明海産の初摘み海苔を扱う理由を教えてください。
創業者である祖父の代には、多摩川などから流れ込む栄養を受けた上質な「大師海苔」が養殖されていました。ところが、1970年代頃から工業化や大規模な埋め立てを背景に、川崎の海苔漁場が約100年の歴史を終えたんです。ぬま田海苔が大師海苔に近い味を求めた結果、有明海産の初摘み海苔を扱うようになりました[3]。
昔からのお客様には、かつて川崎で海苔を生産して漁業権を持っていた方々が多く、それぞれが理想とする海苔の味を持っていました。このような目の肥えたお客様に有明海産の初摘み海苔を高く評価していただいたことをきっかけに、現在も江戸前で親しまれていた味わいを守っています。
― お客様は、ぬま田海苔のどのような価値を評価していますか。
大きく2つあると考えています。まずは、海苔そのものがおいしいこと。初めて来店した方が試食して「海苔でこれほど味や食感が違うのか」と驚き、その後もリピートしてくださいます。もう一つは、自分の好みに合わせて海苔を選べること。店舗では購入前に複数の海苔を食べ比べ、自分の好きな味や食感、厚みなどを知った上で購入する方が多いです。
私はGap Japan(以下、Gap)に勤務していた頃から、買い物には「商品を買った後を想像する楽しさ」があると信じています。例えば、お気に入りのトップスに合うパンツが欲しい時、お店で「このパンツだったら合う」「今月は出費がかさむから我慢しなきゃ」と、買うか買わないかでドキドキしますよね。その葛藤を経て購入し、その商品の良さを存分に堪能します。そんな買い物の醍醐味を、海苔でも体験できるようにしています。お客様には「自宅の冷蔵庫にあった明太子に合う海苔」や「それを買った後の自分の幸せな姿」をぬま田海苔で探していただきたいんです。
― ぬま田海苔の競争優位性は、初摘み海苔を見極める選定力に加え、入札による調達、漁場や品質の違いを生かした商品設計、店頭での食べ比べ、用途に応じた提案を一貫して提供していらっしゃる点にあるんですね。
【第3章】Gapの店長から家業の四代目へ
― 沼田さんはGapでの約17年間、どのようなお仕事をしていらっしゃいましたか。
大学時代のアルバイトをきっかけに入社し、店長を約10年務めました。店舗では人材採用・育成、組織マネジメント、売上管理、接客、売り場づくりなど、店舗運営全般を担当しました。重視していたのが、店舗全体で顧客体験を設計すること。入口、服選び、試着室、レジなど、それぞれの役割を連携させながらチームとしていかに顧客満足度を高めるかを考えていました。
また、VMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)を活用して商品を視覚的に魅力的に見せることで、お客様が商品を見つけやすくて手に取りやすい、購入に繋がる売り場を演出していました。店長には接客、人材、商品、売上、店舗オペレーションの全てを連動させて成果を出す力が求められていました。
― Gapでは自由が丘、京都河原町、博多などさまざまな店舗を運営していらっしゃいました。
店舗や地域によって、お客様の年齢層や服装、求めるスタイルは異なります。本部の方針やブランド全体の目標を踏まえながら各店舗に合った品揃えや売り場、接客を創案していました。例えば、入店して複数のアウターを見ているお客様がいれば、行動を観察した上で声をかけ、お客様が求めているものへ最短距離で案内すると決めていました。
店舗運営では接客だけでなく、レジの待ち時間をどう短縮するか、売り場で欠品を起こさないために何から補充するかといったオペレーションも重要です。店舗や地域の特性をもとにトライアンドエラーを繰り返した結果、私の担当する店舗が年間売上の昨年対比率で全国1位になったこともあります。
― その後、どのような経緯で家業に関わるようになったのでしょうか。
「家業を継ぐなら長男の私だろう」と以前から感じていました。当時の家業には多額の負債があり、土地を売却して返済しなければなりませんでした。その負債を完済した後も、先代の母が生活していくための基盤をつくる必要がありました。母には「店舗を構えておいしい海苔を売りたい」という希望があったため、家業を支えながら店舗をつくることに専念しました。しかし、2018年に合羽橋本店を開業した頃は、家業を継ぐとは決めていなかったんです。
― 別の企業へ転職する選択肢もお考えになったそうですね。
はい。Gapでは約17年間働いて経験を積んできましたが、私自身のキャリアを見直す時期にも差し掛かっていました。組織には昇格を目指す若い人材もいます。ベテランの私が同じポジションに長く留まったら、次の世代が成長する機会を狭める可能性もあります。次第に新しい環境で挑戦したいと思うようになり、家業を手伝いつつ別の企業への転職も検討していました。
― 最終的に、家業一本に絞った理由は何だったのでしょうか。
海苔生産者や業界関係者とじかに接するようになり、彼らの覚悟に驚いたからです。彼らが大きな投資やリスクを背負いながら海苔づくりを続けている現状を知るにつれ、家業を手伝う程度の意識では足りないと実感するようになりました。生産者と向き合う以上、海苔を扱う側にも相応の心構えが要ります。そこで、私は四代目として2019年12月に事業を承継しました。
【第4章】EC、実店舗、VMDによるリブランディング
― 沼田さんが家業に関わるようになった頃、ぬま田海苔はどのような販売形態でしたか。
先代の母は事業規模を縮小して実店舗を持たず、電話やFAXで常連のお客様から注文を受けていました。注文が入ると海苔を焼き、袋詰めして発送していたんです。その常連客の多くは、創業地である川崎の元海苔生産者やその関係者など、ぬま田海苔を以前から知る方々でした。すなわち、新しいお客様と接点を持つ機会は限られていました。
― そのような中で、どのようなお取り組みに着手しましたか。
電話やFAXを中心としていた注文の受け皿をオンライン化しました。店舗を訪れた方が帰宅後も注文できることに加え、口コミや記事を通じてぬま田海苔を知った方にも、オンライン上で商品へアクセスしていただけるようにしたんです。その後、ECだけでは海苔ごとの味や食感の違いを伝えられないため、2018年に合羽橋本店を開業しました。お客様が海苔を食べ比べ、自分の好みに合う商品を選べる場所が必要でした。
― 合羽橋に店舗を構えた当初から、お客様は順調に来店したのでしょうか。
いいえ。最初の2年間は、母と2人で店頭に立って呼び込みをしてもお客様が入ってきませんでした。合羽橋には国内外から多くの観光客や料理関係者が訪れますが、目的の多くは調理器具で、海苔を買うために来る方はほぼいませんでした。店舗を構えれば自然にお客様が来るわけではなかったんです。
― 商品や店舗の見せ方をどのように変えていきましたか。
若い方から高齢の方まで海苔を手に取りやすくしたいと考え、全形海苔のパッケージを刷新しました。ぬま田海苔では、以前から遮光性や防湿性を考慮したアルミ素材のパッケージを使用していました。その機能性を残しつつ、ネイビーやスカイブルー、淡い水色など青系のグラデーションで統一し、白いラベルに商品名、等級、おすすめの食べ方を記載するデザインに変えました。海苔は贈答品として使われることも多いため「誰かに渡したくなる見た目」にもこだわっています。
― Gapで培ったご経験は、現在の店舗づくりにどのように生きていますか。
顧客行動を観察しながら売り場や接客を設計する考え方です。ぬま田海苔でも、お客様が店内のどこを見るか、どの商品を手に取るか、どのような順番で商品を知るかを想像しながら売り場を構成しています。現在は、全形海苔をメインの棚に並べ、お客様が海苔と向き合える場所をつくっています。今後はカット海苔のほか、海苔と一緒に楽しめるうどんやそうめん、調味料なども展開する予定です。商品同士の関係まで含めて売り場にストーリーを持たせ、「この海苔を何と食べようか」とお客様が食卓を想像できる空間にしたいんです。
― リブランディングによってどのような変化がありましたか。
Google検索やSNSの口コミ、私が書いたnoteなどを見たり、最近ではAIに商品や店舗を尋ねたりしてぬま田海苔に来店する方が増えました[5]。また、リピーターとして再来店したりオンラインストアから購入したりするパターンも見られるようになりました。急激に拡大しているわけではありませんが、認知度と売上は毎年確実に伸びています。お客様と直接コミュニケーションを取りながらその方に合う海苔や食べ方を提案する関係は、今後も大切にしていきます。
【第5章】海苔産業では、何が起きているのか
― 現在、海苔業界ではどのような変化が起きているのでしょうか。
大きく分けると、需要と供給の双方に課題があると感じています。需要面では、若い世代を中心に海苔を日常的に購入する機会が減っているのではないでしょうか。以前は、海苔が縁起のいい贈答品や、相手を気遣う実用的な贈り物として使われる機会も多くありました。ところが、現在は価格が上昇し、従来と同じ売り方では消費を広げにくくなっています。海苔店として他の食品との組み合わせや新しい食べ方を提案し、海苔を選ぶ理由を増やすことが求められています。
供給面では、海苔の生産量や生産者数は減少傾向にあり、海水温や降雨、海の栄養環境などの変化によって生産条件も不安定になっています。養殖開始の時期が後ろ倒しになったり、通常の回数を摘採できなかったりする年もあります[4]。ただ、不作だからといって優れた海苔が全く採れないわけではありません。漁場の条件、降雨による栄養塩の供給、摘採のタイミングなど、あらゆる条件がうまく重なれば、従来どおり黒くて品質の高い海苔も生産されます。
― 生産量が減る中、良質な海苔の買い付けはどのように変わっていますか。
上等な海苔の供給量が限られると、その海苔を求める買い手同士の競争は激しくなります。私たちは産地で食味を確認した上で入札しますが、品質の高い海苔ほど価格も上がります。仕入れ価格が上昇すれば、販売価格にも反映せざるを得ません。ぬま田海苔は、どんな条件下においても高品質な海苔を選び、その価値をお客様に理解していただくことが重要だと考えています。
― 消費者からは見えにくい、生産者の仕事や苦労について教えてください。
海苔の生産者は年間を通じて海や設備を管理し、シーズン中には夜間から早朝まで海上で作業することもあります。船舶や車両を扱い、クレーンやフォークリフトを操作しながら工場や生産設備にも多額の投資を行います。それだけの設備と技術を投入しても、天候や海況によって収量や品質は左右されます。生産者自身では制御できない自然条件の中で、毎年品質を追求しなければならない。この不確実性の高さが海苔生産の難しさの一つです。
― ぬま田海苔が厳選された初摘み海苔に漁場や等級を明示して販売することを、生産者はどのように受け止めていますか。
毎年、生産者の方々がお店を訪れてくださいます。「自分がつくった海苔が、ぬま田海苔で綺麗に並んでいて嬉しい」「いつかここに並ぶ海苔をつくりたい」と話す方もいらっしゃいます。私は当初、店舗に海苔を並べることが生産者のモチベーションにも繋がるとは予想していませんでした。上質な海苔を相応の価格で評価する上にどの漁場の海苔かを明示し、お客様が喜んで購入している実態もお伝えすることで生産者の仕事や価値を消費者に接続することも、ぬま田海苔の役割です。
― 2027年には創業90周年を迎えます。生産環境が変化する時代、ぬま田海苔をどのように発展させたいですか。
年齢や国籍を問わず、誰もが海苔を楽しく選べる店にします。私たちが扱う海苔が世界中の食卓で当たり前に親しまれていることが理想です。そのためには、寿司やおにぎりといった和食に加え、海外の食文化に合うアイデアの創出も必要です。例えば、海苔とゴルゴンゾーラの組み合わせをイタリアで提案するといった、海苔が持つ旨味を生かし、世界各国の食材のおいしさを引き立てるような使い方を広げていきます。
【第6章】四代目社長の素顔「自分をなくしたい」
― この章では、沼田さんの素顔について伺います。お仕事を離れた時間はどのように過ごしていますか。
休日に露天風呂やサウナに行っています。よく自分探しをする方がいますが、私は完全に「自分をなくしたい」。月に一度、誰にも会わずに遠くへ行きます。海岸を眺めながら露天風呂に入りたい時は、横須賀や千葉を選んでいます。
― それはお車でいらっしゃるんですか。
いいえ、電車です。電車で行くことに意味があるんです。休日に電車で移動していると本をゆっくり読めるし、いろんなことを考えられる。そのまま三崎や栃木まで行ってもいいわけだし。
― どちらの露天風呂がお気に入りですか。
誰にも会わないようにしたいからあまり言いたくないですが(笑)、栃木県にある小山思川温泉です。他は、秘密です。
― 露天風呂には何分入っていますか。
30分以上入っています。いろんな露天風呂がある時は10分ずつ入ります。気持ちいいですよね。サウナは、熱い時は5〜6分しか入らないけれど、それで十分。自分を無にできるし、血行が良くなるし、いい疲労感が出て夜に爆睡できるから睡眠の質も上がりました。
― なぜ「自分をなくしたい」とお考えになるのでしょうか。
リセットしたいからです。以前、過労がたたって道で倒れて、救急車に運ばれたことがあるんです。日中は立ちっぱなしでバリバリ仕事して、夜中もnoteを書いていました。今、私のnoteが更新されていないのは、ワークライフバランスを整えたいから。でも、組織を強化したら再開しようと思っています。それに、「海苔屋の自分」ではない存在として過ごすと、普段とは違う視点も生まれるからですね。
― 露天風呂やサウナのほかに、リフレッシュできることはありますか。
夜の会食です。あらゆる方と話すと楽しいし、隣のテーブルにいた方が海苔を買いに来てくださることもあります。あとは、ラーメンや定食、焼き鳥などをお店で食べること。「このお店では海苔をこんなふうに使うんだ」と発見があるし、新しい出会いがあるから。ぬま田海苔のお客様に私のオススメを紹介したら、実際にそのお店へ食べに行ってくれたこともあります。そうやって海苔を使ってくださるお店との関係構築を大事にしています。うちの海苔を使っていないお店にも行きますよ、飲食店さんたちを応援したいから。
― 沼田さん、お話をお聞かせいただきありがとうございました。